西表島でもっともワイルドな自然に囲まれた南西部にある日本最西端のカヌー/シーカヤックツアー専門店です

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ブログ 特に変わった
ことでもなく
南国の日常を

代表まんさくの個人的な見解での
ブログですので為になるかは
是非を問わず
ちょっとした徒然のお供にちらと
拝見していただければ幸いです
ご意見やご感想などは
全く伺っておりませんのであしからず

若い頃のブログはおバカな発言が
目立ちますがこれも自身の一部
記録として留めておきました
何卒ご容赦ください

初代カヌーガイド犬の雄姿

イルカの
群れと遭遇


































改2012年度、瀬戸内カヤック横断隊リポート

〜最初に〜

前回レポートを出したのですが、「足りない」「糞でも何でも捻り出せ」との有り難いご指摘を受けました。
僕は皆様と違い、学も無く、しかも南国の西表島という日本というよりは海外、東南アジアに近い気候で 日中は島人(しまんちゅ)はもとより犬、猫、獣すら活動しない中、燦々と降り注ぐ亜熱帯の殺人光線を15年近く浴び続け カヤックを漕いできた結果、脳を活動せずに漕ぐという新境地に達しました。
その影響か、カヤックを降りても脳が活発に活動することはなく、1時間前の出来事も忘れる有様です。
嫁は真剣に心配して、大阪大学病院への診察をコソコソ進めておったくらいです。 なので僕の脳はほんとにカラッカラにひからびております。
本を開けば目が乾き、脳が拒絶するため、故人の経験もほとんど入ってこない、、悲しい原始人です。
「どんな状況下も直感にしたがって選択する」
もともと脳みそに大層な見識が入っていないので、瞬間で体で選択することにしています。
今回の足りないというリクエストを見て瞬時に体は強張り、寒気を感じました。 思い浮かんだのは、内田おじいとユウジおじいのしたり顔。 妖怪の域に達した、、いやもとい、大恩ある諸先輩方に書けと言われるのであれば、そこはもう否とは言えません。
なんか書きます。
何が残っているかは分かりませんが、有意義なことでないことは確かです。 起こったことと思ったこと感じたことをつらつらと書き連ねる小学生の夏休みの感想文レベルです。 もうビール飲みながら書くしかありません。
出てくるのは悪口くらいでしょう、、、
怒る人、僕のことが何だか性に合わないって方は絶対に目を通さないでください、、、 ますます胸くそ悪くなること、間違いなし。 言葉に詰まって、うまくいかないときは、内田おじいが焚火のそばで髭を凍てつかせ凍死する姿と、 ユウジおじいがテント内でガス空焚き一酸化炭素中毒死する姿を思い浮かべて自分を奮い立たせます。

横断隊参加のきっかけ

僕は上記でも述べたように、本や雑誌を全く読まないので、この隊の存在も、おじい達の名声も 全く知りませんでした。、、、すいません、、、いや、悪くはないか。

今年の何月だったかな、、同じ西表島の赤塚君が楠木さんを、うちの事務所に連れてきて一緒に飲んだ。
そこでワイワイ飲んでいたのだが、確か赤塚君と楠木さんが「西表島のガイドのレベルは意外に低い」って思ったとか、 感じたとかで、そこを僕の体が敏感に受け取り、ムキーっとなった訳。 内地のアウトドアショップだか何だか分かんないイケてる兄ちゃん(また、イケてる系ってところがカチンと来たのか)と、 けっこう小難しい事をよく言うインテリガイド(彼は学もあり人間もできてる、、またそこがカチン)。 なんだか2人して盛り上がっている。
僕はガイドしか仕事をやった事のない絶滅危惧種で、正直なところネクタイ絞めた事のある人や常識ある風な脱サラ ガイドたちに、なんだか少し引け目?負い目、、を感じることもある。
トイレットペーパーなくても平気、、、ゲストと話し中でもついつい出ちゃうオナラ、、、 もーアンタ、人に見えへん。犬やん。頭ん中、楽しい事だけやろ、、少しは悩んでみろ。ってのが嫁の口癖だ。

でもこんな僕でも、この仕事を天職と思い、そして世界一顧客満足度の高いサービスを提供できるガイドになることが 目標だ。世界一というのは別に何かと比較する訳でなく、自分が一番というスタンスでもない。 どこの国の人が来ても、このフィールドの素晴らしさ、カヤックの楽しさに触れさすことが出来、外国の人でも、 「また日本にいくときは西表島に寄りたいな、あそこホントに面白かったな」って思わせたい。 そして世界一サービス精神旺盛のカヤックガイド達がいっぱい増えたら、どんなに楽しいことか。 ま、それはさておき。

そんなんで、少し勢いづいて、2人の間に入っていった。
「なにー、瀬戸内カヤック横断隊だー?」と、僕。
「いやナメてたら大変だよ、ほんとに」、、赤塚君。
「行ったろうやんけ!」
参加のきっかけはこういったところです。
こんなことを書いたらぶっ飛ばされるのは百も承知ですが、正直に書きました。 もちろん、今では瀬戸内カヤック横断隊のすごさ、深さ、素晴らしさも重々心得ております。 そして内地の兄ちゃん呼ばわりしてしまった楠木さん、、貴方のリーダーシップに感服してます。 赤塚君、、は変わらず、小難しいが、経験豊かで物知りでとても頼りにしています。

〜11月23日(金)前日〜

徳島から豊島に渡る船で船長に話しかけてみた。
船長が若いネーチャンだったからといわれれば、それまでだが、海外でも国内でも知らないフィールドに行くときは そこで働く人にニコニコ話しかけることにしている。 質問ばっかりになると拒否されるので、うまくつなげる、引き出す会話力が重要だ。

潮位や流れ、分水嶺、カヤックを漕いでる人はいるのか、 漁師とカヤッカーの関係はどうなのか、島々の人たちの特徴(絶対上陸不可のような宗教的な島はあるのか)、 橋の通過の際に特殊なルール、不可な場所などはあるのか、養殖地などは多いのか、とか。

豊島に着き、かねてより連絡を取っていた本橋さんと合流。
本橋さんには、今回の艇を運んでいただき本当に感謝しています。 そして快く艇を貸してくれたパドルコーストの吉角さんに、この場を借りてお礼いたします。 、、新艇でしたので、絶対に傷つけてはならないプレッシャーに押しつぶされそうでした、、 一度もデッキにパドルをこつんと当てることなく漕ぎ抜けれました。

皆が集合する豊島甲生の古民家に集合。
入ってびっくりしたのが、、奥にいるオジィたちの面々。 ディズニーランドの海賊たちのようなインパクトのある面構え。 だけど、やっぱりディズニーなんで、奥底には愛嬌を感じる、、 海外だと、こういうワイルドなオジィも多いが。 日本にいて、どういう年月を重ねたら、こんな面構えになるのか不思議でしょうがなかった。 キャラクターたちは見た目だけだが、ここには見た目プラス酒の香りの相乗効果で、 近寄りがたさと煙たさが充満していた。
そしてワイワイと賑わう人の多さ。完全に指の数が足りないほど、てんやわんや。 こんな数で脱落者を出さず300km以上も漕げるのか? 、、、絶対に無理だ、、、
これまた殴られるのを覚悟で言うと、まずいときに参加してしまったな、というのが第一印象。 でも、これが本当にチームとなって船団となるのかって考えるとすごい迫力だ! そのへんの船だったら圧倒されて避けるだろう、などと考えワクワクもしていた。

11月24日(土)豊島〜大槌島〜瀬戸大橋通過〜本島(33q)

豊島甲生の海岸から出発直後、6列目最後尾に入り、30艇近くの船団を視野に入れながら漕ぐ。 瀬戸内の美しさもさることながら、そこに違和感なく溶け込むカヤックの群れは、壮観の一言につきる。

出発後順調に進むが、6列目まで落ちてくるカヤックが数艇でてくる。 北東の風を斜め右後ろに受けながら漕ぐので、追い波の影響もあり、個々の経験と技術の差がはっきりと 出てくる。本来ならグンとスピードと距離をアップさせたいところだが初日だし、そうもいかないのだろう。 なんだか分からないがガイド性分で、ずーっと最後尾のカヤックと前列を目視できるビリから2番手で漕いでいた。 同じような性分のカヤックが1艇、近くを漕いでいる。本橋さんだった。 彼もおそらく僕と同じ、根っからガイド性分なんだろうな、、、

追い波のこの日、あとから気づくパドリング・カレントは感じなかった。 パドリング・カレントってのは、勝手に呼んだのだが、30艇掛けダブルブレイドの60のパドリングが生み出す水流が がちゃがちゃとぶつかり、後ろに行くに連れて大きく流れる。時速2kmとまではいかないにしても時速1km以上2km未満の 抵抗を感じる(結構正確に当たるんだな、、これが。原始人の僕がGPSなるものを買って興奮冷めやらぬまま、一時期 ずーっと1年くらい自らのパドリングを時速と照らし合わせながら漕いでたもんで、、) 通常のパドリングでは水をバシッと掴めるのだが、パドリング・カレントの中ではなんだか分からない水面がグシャっと (モヤーっとの方が合うか)した感覚で、似た感じでいうとサーフのスープ(砕けた白波のアワアワのところ)を漕ぐ感じで 掴みづらさは半端ない。もっと言うと、プリンあるでしょ。プリンをスプーンでつるっと頂きますが、コレがぐちゃぐちゃに かき混ぜられてたら、スプーンからボロボロこぼれ落ちて、食べづらさ半端ないでしょ、、そんな感覚でした。

そして今回最大のミスに初日に気づく。 スプレースカートの胴回り緩すぎ、サスペンダーなしってのを持って来たもんで、スカート付けたものの胴回りはスカっすかに 空いてしまいコックピットが少し小さくなっただけという状況に陥ってしまった。 なぜ胴回りの緩い大きめのものを持って来たかというと、いつも使っているジャストフィットのスカートでは、いろいろ着込んだ 状態だと入らないのでは、、と想像し選んで来た。 瀬戸内は波はそんなに立たないイメージを持っていたのだが、追い波のサーフで楽しくてついつい乗っちゃうと、じゃばじゃば 後ろから入ってくる。 あれあれ、、尻がつべたいって感じたときには、もうコックピットの中には水がたんまり、、ポンプで抜く位たまっていた。 想像だけで重大な選択をし、実際に着てみて付けなかったのが最大のミスだったな。 着込むって言っても、実際ウェスト周りはそんなに変わらず、いつもの使い慣れたやつで十分機能できた。 想像することは重要なのだが、それだけで判断してはいけない。想像を基にした行動を起こし、その結果で決めるべきであった。

大槌島に到着。 大槌島ってのは北に岡山、南に香川の海峡ど真ん中に位置する周囲2kmもないような無人島。 この島の位置は極めて重要。瀬戸内海を大きな川と見立てて鳥瞰で見ると特別狭い海域の一つだ。 戦国時代、江戸時代に勢力をふるった塩飽水軍さながらの行軍だ。 この海域を経験した漁師、船乗り達が咸臨丸に乗り込み世界に出たんだよね。
瀬戸内カヤック横断隊=塩飽水軍=咸臨丸=世界の海に旅立つカヤッカーという図式になる。 世界の海に出るための一つの経験だ。 内田おじいが観光の起源の観光丸について語っていたとき 僕はついつい字が違うのではって口走ってしまった、、、この咸臨丸のこと。けどコレはかんりんって読むんね。調べてみたら、、 、、、間違いにも理由はあるんよ、、、ただのツッコミちゃうから、、、

その大槌島での焚火休憩。 あまりの寒さに全部脱ぎ捨ててやった。 パンツ1枚になって干していたが、パンツも焚火にぶち込んでやりたいくらい寒かった。 寒さもさることながら、ベテラン組の突き刺すような視線が痛かった、、、 焚火をベテラン組と初参加組との2カ所に分けてくれてて本当によかった。 悪役商会おじい組の焚火の炎には、全く近づけなかったもんね。 近づこうもんなら、「お前、焚火んなか、入れや、、、死ねや」くらいの感じだったな。 寒いイメージってのは、、こりゃーもう体験してみないことには無理っしょ。 大体、年中30℃近いところでTシャツ一枚で漕いでいるんだから、、、5℃とか0℃なんてねー、、、 ぼんやり冷凍庫くらいしかイメージできなかった。 それに比べて、こっちの焚火は暖かかったな、、みんな焚火の側にいれてくれたし、、 同じ沖縄から参加のエレキさんなんかは僕の気持ち、めっちゃ分かってくれよったような気がした。
ただ、この一件で皆に、、こいつヤバい、、って思われたのは確実だった。 ひたすら隠していたアホさを完全にさらけだしてしまった、、 イケメン兄ちゃん楠木氏も、俺はこいつなんか知らんぞって感じ全開だったし、 同郷の赤塚君も、俺は断じてこいつを誘ってないって、体でアピールしていた。 、、ああー、、この隊で友人を作るのは無理っちょ、、、 初日にして、もうすでにひとりぼっちの瀬戸内カヤック単独横断が始まる。 、、僕はもう、途中ではずされても1人で祝島行きまっせ、、

興奮の瀬戸大橋通過。 海から望む人工物。いいねー。感動の景色だ。 田舎もんの僕から言わせると、これぞ内地のカヤックの醍醐味かな。 西表島のフィールドでは人工物を探すほうが困難なくらい90%以上が自然。 まったく人工物がない場所ってのは、不思議な感覚に陥ることが多い。 400mくらいしかない西表島の山々が1000m以上の山並みに見えたり、 パーンと晴れ渡る日には25km先の波照間島や40km先の石垣島がごく近く見えたりと。
自然の中には僕たちが勝手に作った、cm、m、km、とかいう分かりやすい物差しがない。 日中はそういった人工的な物差しが見えるんで漕ぎやすくもあったりするが、夜になると 皆、カヤックに乗っていてバランス、方向、距離感覚などを失うことが多い。
暗闇は少しずつ、わかりやすい標識を奪っていくからね。 そういった感覚面では僕たち西表島の原始人ガイドのほうが強く出来ているのかも。 僕たちは山並みや、空、木々、海、自然そのものを真っすぐ見つめているから、ごまかされることは少ない。 、、、と、まあパンツ一丁でなに言ってやがる、、、ごもっともです、はい、、

本島の北西向きのビーチに上陸。 15:00という早さで上陸したのには、いろんな理由があった。 一番には隊員の数の多さ。僕もキャンプツアーやっているときに一番に気にする点は上陸地点。 参加者みんながしっかり泊まれる横の広さと奥行きの長さがないといけない。 加えて個々のキャリアの違いもあり、トイレなど設備の行き届いたビーチを選んだのだろう。 あと初日ということもあり、日没間際までのパドリングを控えたのだろう。 次のビーチまでは1時間半の距離。 しかし、内地の太陽は足が速いね。15:00で真横に傾く。 16:30くらいまでは普通のパドリングが出来るが17:00を回るとライトがいるね。 いかに早起きし7時前には出発し、16時まで漕ぎ続け、距離を伸ばすことが出来るかが瀬戸内完走のポイントだ。

上陸後はせっせと薪拾い、、
30人が暖まれる焚火って、、僕にはファイヤーダンスが出来るような海賊達の宴しか思い浮かばなかった。 おじい達は、横細たて長の焚火にすることで長テーブルのように組んだ。 向かい合わせの面接状態、、、30人も隊員がいるのにちっとも来ない、、 くわえて歴戦のオジイ達の側はすこし席が空く、、うーん、分かるぜ。皆の気持ち。 だけども、これだけ長い焚火になると火が付いてる場所と煙だけの場所に分かれる。 田舎もんで、ずぶ濡れの僕にとっては燃え盛るオジイ達の席に行くしか選択肢は無い。 とりあえず気配を消して、息をせずに側により暖をとる。
「ふうぃー、、暖まる、、」
のんびりしてたら焚火がすぐに小さくなる。
「お前寒いんなら、焚火の上、歩いて修行でもせえや」
スーパーマリオそっくりのユウジおじいが突っ込んでくる、、
、、なんか分からんけど面倒くさいので無視する、、、
寒いので1人でせっせとガンガンに薪くべて、また暖まる。 ようやく炎が腰くらいまでの高さになり、全身に血がまわってきた。 すると夕暮れ特有の陸から海への風に変わり、一番ドスの利いたオジイの顔に火の粉が飛び散る、、
「お前、焚火はな、そんなに燃やしたらいかんやろ」
クッパそっくりの隊長が唸る。
、、大変な場所に挟まれてしまった、、、
、、いや、言ってることは、よく分かる。焚火の炎は中火もしくは弱火が扱いやすい、、
、、、しかしですねー、、あたしゃー、今ガクガクに震えておりまして、そんで1人でせっせと薪くべて 暖まりたかった訳ですよ。それに、くべてる薪も、あたしが拾ってきたものなんすよ、、さっき、、、
矢継ぎ早のツッコミを無視し続け、完全アウェイの耳なしほういち状態。
、、ここに居続けたら、マジで耳ちぎられかねん、、、
十分に暖をとり、その場を離れる。

16:00ほどになり、みな寝床に取りかかる。 ビーチ奥40mほどあるくとアスファルトになり、そこに道具を運んでいる。 僕はいつも通りカヤックの脇にテントを張り、カヤックから一切離れずに過ごす。 40m掛け往復数回の体力も惜しい、、ビーチの移動はきついんです。 カヤックとテントを結びつけ固定、、飛ばないの?って不安がる人を余所目にし作業する。 もしカヤックまで飛ぶとしたら、それは風速15m以上の強風域に近いときだけだ。 おまけに、キャンプ道具満載のカヤックが飛んだり転がったりは、それ以上になる。
、、絶対大丈夫、15年間以上、一切事故なし、、
これまた面倒くさいので言わない、、、

「おらーテントは張るなー!」
突然、隊長の怒号がひびく。
、、なんだ、、なんだ、、、
僕は焚火のすぐ側にカヤックを置き作業していたので、隊長の荒い鼻息まで聞こえる。 これは無視するわけにはいかず、すぐに作業をやめる。 アスファルトまで移動していた人たちは隊長の怒号が届いていないようで、作業を続けている。
テントは張るなー!
声が届かないので、僕らで声のリレーでつなぐ。

全員焚火に集合し内田隊長の有り難いお説教が始まる。
そもそも瀬戸内カヤック横断隊とはなんぞや、、から始まる。 30人という状況下でビーチを占拠し、明るいうちからテント張り始めたら、地元住民にどう思われるか? 通報されんぞ。
、、、いやー、これは確かに僕も一人の遠征や、テントを好まない島々を回るときなどは、そっと上陸し 塩まみれの顔を拭い、ぼろぼろのシャツはすぐに着替える。そして夕闇の頃、目立たない場所にテントを張るもんだ、、 30人もいると責任の所在がうやむやになってきて、団体の統率より個々が勝手な判断で先走ってしまう。 でも、そん中でも10年間ずーと隊長やってきたオジイの責任たるや、大変だったのだろう。 加えて、いままで統制の取りやすい10〜15人近くでやってきた横断隊員が急に30人以上に膨れ上がったもんで オジイのストレスはピークに達していたように見える。
個々が責任者という自覚を持って判断してくれ。
もっと考えて行動しろ。
あと一番重要な声のリレー。誰かが発した注意喚起の声や目標物判断の声を全員に届けるということはチームワークを取るうえで必須。 初日の夕方、早いうちに全員の意思の疎通と確認が出来たことはとてもよかった。
、、、だけど、このお説教を境に今まで溜めていたおじいのストレスは堰を切ったように溢れ出し、まるで壊れたテープのように 延々とリピートし始めた、、、
退散。

夜になり焚火でメシをつくり、全員がそろい始めた頃、新人挨拶の儀式が始まった。
、、、あれ、これ昨日の夜もやったじゃないか、、この流れだと、おそらく毎夜続くな、、、
僕の挨拶の番までには、ワインもがぶがぶ飲んでいて、ついつい今まで蓋をしていた心の声がもれてしまった。
「えーと、カヤックをやる人たちは、少し変わった人が多いと今まで思っていましたが、正直なところ、ここまで偏固な変わりもんばっかりとは 思ってもいませんでした、、はっきりいって面倒くさい、、」
根が素直なもんで、正直に思ったこと言えって言われたので、そのままに答えてしまう。
「なんやとー、オラー」「なんじゃ、お前はなまいきやなー」
「あいつ、なんや、名前なんやー」「名前言わんかー」
ディズニーの海賊達が暴れだす。
、、碇です、、
「なにー、碇やー」「お前、いかりやかー」
「お前、長介じゃ」「うおー、チョースケ、生意気やなー」「ウースターか」
怒声が飛び交う、、
以後、、チョースケ、、こんな小学生の付けたようなあだ名、人生初。

複雑で難解きわまりない歴戦のおじい達、、かなり渡り方が難しい。
、、僕だってプロガイドとしてずーっと15年以上この道に携わっとるんや、、なに言われよーと揺るがぬ自信も十二分にある、、 、、合う人もいれば、嫌う人もそりゃーおるやろ、、、もう別にどう思われようが関係ねーってくらいのほうが楽だ、、
瀬戸内カヤック横断隊は昼より夜のほうが危険が多い。昼は漕げて当たり前、、夜の横断に注意を払え。

11月25日(日)本島〜広島〜手島〜小手島〜大島〜北木島〜大飛島〜走島(35km)

本島7時に出発。この日の朝はバッチリ、パドリング・カレントに掴まっていた。
ただ、まだこのカレントの存在に気づいていなかったので、なんか調子悪いねー、、 漕ぎづらいねー、、などと6列目で話していた。

広島から手島に渡る海峡で、ようやく瀬戸内らしい流れになってくる。 前列の隊が、見事にすいーっと右に振られる。最後列の特権かな。 振りの早さで流れの早さが見て取れる。

手島の南を回り込み小手島との狭い流れ込みのところを漕いでいるときに スケッグなし、ラダーなしの山口のキコリさんが手間取っているのをみて、ついつい口を出してします。
「一回一回のパドリングをもっと大きく、体の回転を使って漕いで、足の踏み込み加減で、バウを右に左に調整しながら漕げます」 なんて今考えたら、何とも高慢な口の聞き方をしたもんだ。、、、キコリさん、すいません、、、 同じ隊員という立場でパドリングについて、どうこういうことは必要ない。 もしパドリングがなってなかったら、それはそのまま自分に還ってくるし、それを受け入れ、悩み考え、修正していく行程が 横断隊には十分にある。横断隊にアドバイスはいらないのだ。
あとでユウジおじいの格言を聞く。
「俺はなー、1年で横断隊のときしかパドルを握らねえんだ、、漕ぎ方がどうとかいらねえんだよ。根性で何とかなるんだよ」
もひとつ、ユウジおじいの定言。
「お前ら、商売でやってるガイドは横断隊にはいらねー、、商売プロは出入り禁止じゃ、、プロからは金とんぞー」

大島の休憩中、ひとつ気がついたことがある。
1時間以内くらいの短い休憩時間ではしっかりメシを作ることが出来ない。 皆、お湯を注ぐと、すぐ食べれるものでやっていた。 僕はというと、長年ツアーのランチには命をかけてきたので、パスタやシチューをせっせと わかす、、間に合わない、、パスタは諦め、体の暖まるシチューやカレーをスープ代わりに飲む。
うーん、何だか切ないが、コレで我慢しよう。
明日からは時間のある夜にパスタなど手の掛かるものをつくり、ご飯も炊いておこう。 以降、朝と昼はご飯になにか混ぜ、そのまま食べることにする。 この旅の食料事情で欠かせないものを忘れてしまった、、、
食物繊維。つまり野菜。
野菜不足すぎて、なかなか食べたものが出てこない、、、 お腹は膨張間があるのだが、なんとなくエネルギー的に不安なため詰め込む、、 、、、出ない、、、の繰り返し、、、 周りにも便秘で悩まされた人が多くいたようだ。
ユウジおじいなんかは最終日終わって、原さん宅に泊めさしてもらった翌朝までずーっと唸っていた。 爪楊枝差し込んでた、、パワーが足りないって割り箸でホジクリかえしてたときには、もうケダモノにしか見えなかった、、
、、、あー、こういうことね。人間的な一面を保つことの大切さって、、、
いやー、勉強になるぜ!さすが夜の横断隊長。

走島の唐船天女浜海水浴場ビーチ到着、、今日もまた15時にはカヤッキング終了してしまった、、、
大丈夫なのだろうか?確か僕の大雑把な計算では1日40km以上は漕いでおかないと 後々きつくなっていくのでは、、、 なーんてことは、新人の口からは一言も漏らしてはいけない、、 また、昨日のような吊るし上げにあってしまう、、、 上陸後、焚火の準備を終えるとすぐに赤塚君がウェットスーツ着込んで準備をしている。 彼は手銛持ってきている。 自分流のスタイルで、この横断隊を楽しみたいんだという。 僕も燻製やらピックル液につけ込んだ鶏肉やら牛肉、砂肝など持ってきて、それをワインで優雅に楽しみたいという メシにこだわったスタイル。 パスタなんてキングオブパスタと言われるディチェコだぜ、、ツアーでも出してんだゼィ、、しかもイカスミも持ってきたぜぃ〜 ハンモックなんかも持ってきてたからね、、、コレだけは使わずじまいだったが。
西表島の僕たちには共通点がある。
決して内地的な完成されたアウトドアではないが、自分流を信じて貫き、カヤック以外でも旅を満喫したいという思い。
いいガイド揃ってるじゃーないか、、西表島。
、、、まあー誰もそうは思っていないので、己くらいは自分たちのことを大きな愛で受け止めてあげようと思う、、、 天候や状況判断や安全と危機管理はもちろんのこと、 ガンガン漕げて、クルクル回れて、カヤックでいろんなことが出来る、思い通りに扱えるってのがプロガイドって言われている。 だけど、それだけではプロガイドとして大きく欠如している。
、、、これあくまで持論ね、、怒んないでね、、、
僕たちカヤックガイドはあくまでゲストを案内するんだ。 技術として超一流、プロとして超有名、、そんなのどーでもいいことだ。 一番必要なのは、ゲストにプラスアルファー何か喜ばしてあげたいって思う気持ちがあることだ。 それがメシだったり、新たなフィールドを見せてあげることだったり、新たなことをチャレンジしたり、、 エゴイスティックで尊大なガイドにだけはならないように、お店の名前にツアーサービスって入れんたんだ(まんさくツアーサービスといいます)
このツアーサービスってのは、僕が一番最初(特に西表島では、内地のことは分からん)に使った。 今、西表のお店の名前にツアーサービスって入れているところが増えてきている。
こういう思いも届いていたらいいな。できれば、ゲストを案内するプロガイドの共通の価値観になったらいいな。

11月26日(月)走島〜仙酔島〜阿伏兎瀬戸〜田島〜横島〜弓削島〜津波島(39km)

走島の島沿いを通り、北西の仙酔島まで渡る。 島影を抜けると、一気に北風が雨粒まじりで吹きつけてきた。 若干、東も入っていたので(つまり北北東の風)で、北に漕いでて、うまく仙酔島のほうへ向かっていく。 波はそんなに高くないが、風は10mくらいは吹いていた。
ただ、この頃になると船団もきれいにまとまり、なんと優雅に漕行していたことか。 3、4隻の漁船が近くまで寄ってきていたが、皆、舌を巻いて引き返していった。 僕たちの行動は、漁船やタンカー、陸地からも、海の警察海保やヘリにも見られている。 (今回は潜水艦の浮上航行にも遭遇、数人が甲板にでて写真やら何やら撮っていた) 風の強いときや雨のときなどに周りに不安を与えるかも知れない、、通報されるかも知れない。
そんなときに、この編隊が秩序を保ち、優雅に、目的意識がはっきりと現れて漕行していたら、 周りに一切の不安感を与えることが無い。
隊列と編隊(フォーメーション)の重要性は、中で漕ぐぼくたち隊員自身のためにもあるが 外に与える影響という意味でも、かなり重要な意味を持っている。

阿伏兎瀬戸とその海域の歴史的重要性について、、、
現在遠方にいて正確に述べることが出来ないが、村上さんの分かりやすい説明で猿以下の頭脳の僕もすんなり理解できた。
僕もガイド業に携わっているので人に説明するってのは本当に難しいことだってことは、よく分かっている。 1000を知っていても伝えられることは10とか50程度だもんね。 そう考えると、この瀬戸内横断隊で出会った人たちは喋らずとも、僕に多くのことを伝え教えてくれた。 僕がものすごく勉強になった分の掛けること100倍から1000倍の知識と経験を持っている瀬戸内カヤック横断隊のメンバー達。 今日のリーダー広島県の村上水軍の村上さんは、尊敬できる立派なガイドだった。 もし今後、八重山諸島海峡横断隊を開催できるとしたら、僕もホームグラウンドの海域のこと、特徴、歴史、人々の生活と変遷を伝えていきたい。

佐島から津波島へ渡る、、強風横風のとき一番めんどくさい斜め40°くらいの進路で目標に届く。 そこに津波島コミニュティアイランドキャンプ場ビーチがある。 進路は北西、1kmくらいしかないが、北の風12〜14mくらいの風にあおられ隊がチリジリになってしまった。 もしもこれがうちのツアーと考えると大変だが、、そこはさすが瀬戸内カヤック横断隊だ。
ここには羊はいない。
僕はよく自分のとこの新人や西表島若手スタッフを指導させていただく(えらそうですがすんません)時にいうことがある。 ゲストは羊の群れで、ガイドは牧羊犬なんだ。
ガイドは羊達の群れを、ワンワン吠えたり引っ張ったりしながらまとめて一つの群れとして移動するんだ。 どんなに技術の優れた早い羊がいても信用しちゃいけないよ。 羊はひと波で羊に戻るから、、、
全体を鳥瞰で捉えて牧羊犬同士はお互いの位置を常に意識して、挟み込むようにして行動する。 一人一人の漕ぎをしっかり見ていたら、ちょっと疲れているだけなのか、もしくは限界寸前なのかが事前に分かる。 はぐれそうな羊の側に、そっと近づいてガンガン吠えるんだ。吠える、つまりアドバイスしたり煽ったりしながら修正させて漕行させる。 大きなうねりの中でなければ、隣で寄り添いスターンレスキューだけで済ます。トウーイングは奥の手だ。 順番でいうと、大声(罵声)レスキュー、スターンレスキュー、トウーイング。

ちなみにスターンレスキューってのはこれまた僕が勝手に名付けた方法で羊の風下に寄り添い、尻をひっぱたきながら漕ぐ方法。 風で流されるカヤックの風下に回り込み、相手のスターンに自分のパドルを掛けて、クイっとハイブレイスするような感じで寄せる。 スターンを寄せることで、大きくバウを風上に修正してやることが出来る。2、3回するだけで容易に軌道修正させることができる。 だけど、コレをするときは息を合わせて、ぶつからないように注意し、相手のスターンを確実にしかもソフトにとらえないと、 パドルにも負担がかかるし、外せば自身が大きくバランスをくずす。 外してもブレイスで起きれたり、こけてもこのぐらいなら楽勝だって思うときしかできない。 ゲストにはバランスを保たせるため直進を指示し、パドリングさせ続ける。 スターンレスキューは相手にまったく意識させず気づかせずに行えるので、ガイドは絶対に出来なければならない技術のひとつ。 お客さんが冒険と感じて必死のときも、ガイドはプールで遊んでるくらいでないといけない。

だけど、ここには羊はいない。
皆が牧羊犬、、というよりはむしろオオカミだ。
餓えたオオカミが1つの目的を持ち、走る。
老いも若きも、体の都合も千種万様。
オオカミがオオカミを助け移動する姿は美しかった、、、
僕もこんな風に年を重ねたい、、経験豊かな美しいオオカミになりたい、、

11月27日(火)津波島〜伯方島〜船折瀬戸〜大三島〜大下島〜岡村島(34km)

津波島から西、伯方島との間は時間的に潮も大きく動いていて、遠目から見ても海に段差ができていた。
沸騰するように水面が押し上げられ、白く波立っている。リーダーが確認に行き、狭い海域を避けて進む。 今回は要所要所で瀬戸内らしい表情を見せる海をあまり写真に収められなかったのが残念、、
なにせ両の手に力の入る難所こそ瀬戸内の美しさが集約してるから、、
しかも今回は最大の難所を大潮で迎える、、つまり瀬戸内の本気が見られる。最も激しく美しい瞬間に立ち会える、、
ガイドとしては、とても幸運なこと。
来年はヘッドライトタイプのGoPro(ハイビジョンビデオ)頭に付けて漕ぐとしよう、、、いやー、楽しみが増える、増える、、
伯方島の船折瀬戸前の海岸に上陸。
潮の関係上、もっとも流れるミッドタイドを休憩を設けて避け、潮位いっぱいになる1時間半前くらいだったかな、、 船折瀬戸(10:30)に入る。
けっこうな大きさの漁船や小規模ながらタンカーもガンガン通る、、、一番狭い海域50mくらい、、 素人目に見ても橋の下ギリギリを通過する奴らのほうが絶対に悪い、、、そりゃ船も折れるわ、、 こんな狭いとこグリグリ入ってくる彼らははっきり言って違法です。
「そんでガンガン流れてるときは船もエンジン全開で通るんで、もしもカヤックが漕行不能になって前にいたとしても 止まらんですよ、、もちろん、、彼らにとっても難所ですから」って村上さん。

2列縦隊15列。最前列から最後列までざっと150m。
個人的にいうと、瀬戸内カヤック横断隊がもっとも美しく漕行していたのが、この瞬間だった。
ついに瀬戸内カヤック横断隊はオオカミの群れから1つの生き物のようにくねる龍となる。 正直言って、こんときだけはカヤックを降りたかった、、、降りてすぐ一眼レフ持って車で並走して何百枚も撮りたかった、、 コレを橋の上とか、山から写真に収めておいたら凄かったのにな、、カヤックの教本になること間違いなし、、
タイトルは「しまなみ海道を昇る、瀬戸内の龍」
一番細いしまなみ海道の下を通過する頃には、ほとんど潮止まりになっていた。 さすがだぜ!今日のリーダー愛媛県の井出さん。150m近い、瀬戸内の龍の行動時間を完璧に把握してた。 主流の押さえ方や反流の捉え方といい、いぶし銀の働きを随所に見せる。

もっとも快適なパドリングだった25日の午後と同じくらい穏やかな午後を漕げた。 潮も合っていたし、この日だけは少し距離を伸ばしたらよかったんじゃ、、、なんて、、
この日も15:00ぴったりに上陸。
、、どうやら、おじい達はこの時間になるとアルコールが切れてくるようだ、、
明らかに酒を欲して、そのへんをウロウロしだす海賊達、、
散歩に出かけるマドンナたち、、
西日も穏やかな岡村島の午後だった。

この岡村島のビーチに立て札が、、、「焚火は禁止」
うおををー、、なんだとー、、だあああー、、死ねってか、、、
急に暴れだす海賊たち。
そう、僕たち炎がないと夜を乗り切れないのです、、、
横断隊は夜に真骨頂を迎えるのです。
そんなときでした、、海賊の中でも一番に髑髏が似合う植村おじいが、何とも冷静に事態の収拾に動いたのです。 俺が話し付けてくる、、なんと植村おじいはそのままの海賊姿で向かいました。 歩いていったのか、車に乗り込んだのかは定かではありません。 ただこんな人里離れたビーチから役場まで行って話し付けて帰ってくるには、あまりにも早業でした、、、
、、これまたどうして車がすぐに見つかったのでしょう、、そこらを通った車も植村おじいに乗せてやって言われたら ばりばりのトラック野郎でもハイって二つ返事でしょう、、逆走してでも行かなければなりませんね、、
役場の返事はもちろんOKでした。
上には黙ってるんで火とゴミの後始末だけは処理してくださいとのこと。
、、もちろんそうでしょう、、髑髏のおじいを公的に通すなどもってのほかです、、喰われてしまいます、、
そしてまた激しい夜を迎える、、、

この夜、広島県だったか愛媛県だったか定かでないが11月観測史上最低気温をマークする、、ラジオで流れていたよって牛尾さん。 おそらく0℃くらい、、、自分史上最低気温を更新。
シュラフ買っておいてよかった、、ー25℃までって書いてるが全然違うぞ、、実際は10℃〜5℃だな、、 ダウンジャケット着込んでも震えが止まらず、夜中2時くらいから結局朝まで起きてた、、一所懸命足踏みしてたもんね、、 「僕のもー20℃くらい対応のやつだけどシャツとパンツだけでも汗かいてるよ、、、3、4万くらいしたけどね」とクールに牛尾さん。
10000円くらいの安物は駄目だねー、、命に関わる。5000円くらいの買ってたら、つべたくなってたかも知れん。
アウトドア商品はリアルに値段が反映します。
命に値段はつけれません、、、ケチにアウトドアは向きません、、、自然界の厳しい法則、、すなわちケチには死を。

11月28日(水)岡村島〜大崎下島〜尾久比島〜上蒲刈島〜下蒲刈島〜情島(33km)

今日もまた高気圧の範囲内で寒いが穏やかな1日が始まる。
今日のリーダーは、、あれあれナンと新人の三澤さんがリーダーに据えられている、、、 三澤さんは関東の人間で、プロガイドでもないぞ、、どうしたの!? 聞けば、昨日の夜に、思ったほど大変じゃない、そんなにきつくない発言をしてしまったようで ディズニーの海賊たちに吊るし上げられたそうだ。
完全に夜の渡り方を間違えたな、、、
大変なことになったぞ、、、だって、ミッキーマウスが黒ひげ海賊団を率いていくんだから。 ミッキーと海賊はお話が別でしょう。そっとして聞き流してあげればいいのに、、

ミッキーマウスってのは、なにも三澤さんだけじゃない、ぼくら瀬戸内カヤック新人隊員は全てまだまだ可愛らしい 存在だってこと。みんな一緒です、、気ぃ悪くしないでね。

この日も大潮、上げの潮がきつい主流につかまり、なかなか思うように進まない。 途中から経験豊かな地元ガイドたちが岸べたの反流を捉えて進むことを提案。 ようやく、時速6kmほどで漕行が可能となる。

リーダーシップをとるってのは、なかなか簡単なことじゃない。
目標物を定めるだけでも、目標の角度にある一番分かりやすく定まったものを一瞬で見極め指示を出さなきゃ行けない。 指示もあまり多く出したり、ころころ目標物を変えたりすると隊が混乱するし、不信感が漂うとスムーズな漕行は出来なくなる。 プロガイドとしてゲストを長年案内してきた人間であれば、うまく隊をまとめることも可能だろう。
ガイドが一番気を使うところは、指示の出し方だからね。
僕が一番よく使うのは、山の一番高いところ目指してとか、左の高いところ目指してとか、山を用いることが多い。 あと河口とか、岬、、 なるべく人工物は避けるようにしている、、、誤解を招くことが多いから。 あと今回の隊の中でも、話題に上がったリーダーの指示の言葉遣いについて。 目標物や休憩、向き、現状維持、などなどいろいろなことを指示しなければならないリーダーの役目。 その中でリーダーの指示が敬語で長いと聞き取れない、、なんせ海の上で漕ぎながらなんだから。 リーダーは敬語使うな。指示は短く。ってのが挙った。
これなんて、うちのツアーでは当たり前のことだもんね、、、
僕なんて、まず敬語の使い方を全く知らないからね、、、ガイドとしては適格でしょ、、悩まずして体得。 だいたい、海で漕いでて、あんとき態度が偉そうだったとか、、言い方に腹が立った、、なんて感じる人はまずいない。 もしもいるとしたら、人間の価値観だけで生きてきて、物事の判断基準がコンクリートみたくカッチカチの悩める子羊だけだ、、 それに海にいるときの僕たちの声は驚くほど澄んでいて、鳥の歌声みたいなもの、、、
僕たちカヤッカーは海にいるときは完全に自然に調和がとれているんだ。
だから海鳥たちも驚いて、、何何、、小魚の群れでもいるの?なんて僕たちをイルカかクジラの群れと 勘違いして見に来たり、、とんびも興奮して飛び出したり、、 迷い込んだイルカ20頭の群れに囲まれたこともあるし、、 真夜中に一人でパシャパシャ漕いでたら瀕死の生き物に間違えられてシャークアタックくらったこともある、、 ありゃーたまげた、、というか完全に腰も心も砕けたけどね、、
よくよく考えたら人ももちろん自然の一部(食物連鎖の中にも入っている、ぼくらもたまには食べられるなんてこともある)なんだ。 いろんな乗り物や装備で完全武装していたり、、動物園の檻の中の生き物を見に行くなんてことと シーカヤックで生き物たちに出会う、遭遇するってのは次元が違う。 僕たちはカヤックという丸木一本くり抜いただけのシンプルな乗り物に乗って、彼らの得意分野のフィールドに漕ぎ出す。 そこには檻の格子も塀もない。、、対等なんだ、、いやむしろオーラで負けている、、、 そういうところで彼ら生き物たちと出会い、対峙してみるとものすごいパワーを感じる、、、気圧される。 純粋な生き物としてのパワーだ。彼らの一挙手一投足をじっと観察するようになるし、彼らに敬意を払うようになる。 人間が一番高等な生き物なんて、まず思わなくなるし、むしろ一番面倒な作りをしていると感じるようになるさ。 これからの時代、僕たちが地球という大きな生き物を蝕んでいく癌になるか、ビフィズス菌みたく浄化していくかは、 この辺の価値観を持てるかということが重要になってくる。
内田オジイがいうように、今後はシーカヤックを子供たちや学生たちに必修科目として教えていかなければいけない。 個人的にはサーフィンも好きだけど、まずはシーカヤックのほうがいいと思うね。 サーフィンは沿岸のみを海と捉えて、海を大きくひとつと感じる人が少ない。バラバラに離れたポイント、、地元だけの海、、 そういった価値観で海を捉えると、ここのポイント(海)俺のもん、、なんて言い出す輩が後を絶たない。 昔ながらの海を切り売りして己のみを考える悪質な漁業関係者とよく似ている。 ローカルオンリーのポイントなんて言葉に、サーフショップ関係の方々が作り上げた負の遺産が集約されている。 シーカヤックは必修科目、サーフィン、素潜り、スピアフィッシングは専攻科目のような世の中になってくると、原発なんて 訳の分からない物、必要ないもの、そりゃーいらんわな、、となってくる。 授業の中にロウソクランタン作りなんて入ってくる。強風でも消えないペットボトルで作ったロウソクランタン。 意外と難しいんだぜぃ、、節電どころの話しじゃないぜ、、時代の先を捉えた究極のアイテムなんだぜ〜、、みんな笑ってたけど。 ディズニーの海賊たちを教壇に立たせてみたいぜ、、つまらん男はちぎってサメの餌じゃ、ってね。
キンタマ縮み上がる授業だ。
女性はこういう輩に強い。生まれながらに体内に大きな海を宿してるからね、、胆のちっちゃい男どもはすぐに遭難するぞ。 そしてなにより海賊は女に弱い、、コレが伝統だ。
となると、後々の世代になってくると僕たちは大学講師であり環境学のスペシャリストってわけだ、、長生きせんとね。 カヤックのリーダーシップから未来予想図まで妄想してしてしまったが、、、
この島国日本にはシーカヤックは最適環境でもっと未来志向な独自の考えをバンバン、それこそリーダーシップとって発していっていいんだ。 大陸の価値観とも元から違うんだし、グローバルグローバル言って、実はオシャレだけで着飾った欧米価値観なんていらないんだ。 アトムを見ろ、銀河鉄道999を見ろ、日本アニメは強烈な個性で群を抜いて世界を未来をリードしてきた。 日本人よ、もっと我がままになろうぜ、人に迷惑かけても知らんぷりの自分勝手なさまとは次元の違うワガママさを打ち出そう。 みんながみんな頭良さそうに振る舞うな、、頭いいこと、物知りなこと=自分の求めるゴールとは違うはずだと思うよ。 学歴とか、見た目とか、収入とか職業とかで、名声とか、成功とか、勝ったとか、負けたとか、、、 そんな分かりやすい物差ししか持ってねー野郎は、有り余る情報に流されて自分の選択肢をなくしてしまった本当のお馬鹿だ。 頭カラッポの僕が認めるんだから間違いない、、そんな奴は情けない、かわいそうだ。 リーダーシップの話しは未来につながり、未来予想図は自由に語れる分、ネタが尽きない、、、コレぐらいにしとこう。 面倒くさがられちゃうからね、、、中身はみんな面倒くさく出来てんのね、、、面倒くさい人種ほど愛してやまないぜ。

15:00前、西の風が若干強まる中、下蒲刈島から情島まで臨み、海峡横断をするかしないかの判断を迫られる。 ここでもし下蒲刈島泊という選択をすれば、100kmほど距離を残すことになる。 24日から今までの行程では30km〜40km未満という結果だったことを考えると、 今日中に情島まで渡れねば、今回は祝島にはたどり着かない。 潮も流れて西風も強く吹いて白波が少し見えるものの、高気圧の範囲内で5−6km程度の海峡横断と考えると絶対にいくしかない。 もしも一人で漕いでいたら、時間のほうが惜しく感じてためらわずに情島へ渡り始める。
しかし30人の群れとなると判断は極めて難しい。
行くしかないと分かっていても、なかなか出せないGOサイン、、、
このときにリーダーとして任された三澤さんのストレスたるや、、大変だったろうな。 しかも三澤さんはプロガイドでないので、「いいから行くぞ、付いてこい」って言葉が出てこない、、、 プロガイドでやってる人間だったら、皆で話したとしても、最終的な決断は一切リーダーである自分が行うということを知っている。 そこに反対意見が合っても、多数決で押されていたとしても、決断はリーダーたる自分が下す。 「行く」もしくは「行かない」、、がたがた言うなってくらいにガツンと言ったらなきゃいけない。 もし、それで行くとなって何か起こったら、リーダーの責任は重大だし、途中でヤバいと思ったら瞬時に撤退号令をかけなきゃいけない。

しばし待機し、観天望気。
行くのか、行かないのか、、リーダーとサブリーダー以外なにも言えない状況。
白波は15:00前時点より確実になくなってきているし、風も気になるほど強くはなくなってきた、、
時間だけが刻々と過ぎていく、、

「行くしかないだろう」

内田おじいがつぶやく。
全然大きな声ではなかったのだが、皆が待っていた言葉だ、、伝えずとも全員に届く。
「よしっ、行こう」
バラバラに砕けかけていた隊の指揮が瞬時に上がるのが分かる。
、、このオジイは妖怪やな〜、、
一気に上がった指揮でパドリングのペースも上がり、風と潮も弱まったおかげで、1時間ほどで情島ビーチにたどり着く。 瀬戸内カヤック横断隊の最終目的地祝島への到着が首の皮一枚でつながった。

長い瀬戸内の行程の中でも、この夜は特段うつくしかった。
焚火の炎と、夜空を渡る満月の柔らかな日差しで、みなが笑顔だった。

11月29日 (木)情島〜倉橋島〜鹿島〜津和地島〜周防大島地家室(48q)

残り90km余り、期間は2日と迫った。
皆いつもより出発を早く心がける。
今日のリーダーはゲッ反町(ユウジおじい命名)楠木さん。
単純計算でもいつも以上の距離とペースが求められる。
長い瀬戸内カヤック横断隊の行程の中でもかなり重要なポジションだ。 天気は晴れ、、風の影響もさほどなし。このコンディションなら50km以上は稼いでおきたいところだ。

情島から倉橋島亀ヶ首に渡り、そこからは岸べたで反流を捉え、一気に鹿島へ。 ほとんど影響はない程度の追い風、北風。
鹿島から津和島と怒和島をのぞむ。サー行こうってときに西から水煙をあげて向かってくる未確認物体、、、
なんだなんだ、、ざわめく隊員。
よく見ると船首を沈み込ませ甲板だけ浮上させ航行する潜水艦。
これがまー遅いこと、、なかなか通過しない。
こっちも物珍しさでパシャパシャやっているが、よくみると向こうも甲板ハッチを開け数人が上に出てパシャパシャやっている。
、、、こんな浅い海域に潜水艦で来んなよなー、危ないだろ、素人目に見ても、、、
、、、それになー、この人数で行動していたら5分10分ってのが、どんだけ響いてくるか、わかんねーのか、さっさと行きやがれ、、、

海に浮かんだカヤックは、ただの木の葉と一緒だ。そこに僕らが乗り込み、ただの木の葉に命を吹き込む。 ものすごく弱い立場のカヤッカーは風や波、潮の流れ、洗岩や干出岩、タンカーや船などの人工的な乗り物、魚や鳥といった生き物にまで、 あらゆるものに細心の注意を払う。
サメはさておき、魚だって意外と怖い。
西表島ではダツっていう細魚のボス格みたいなんがいて光に向かって突っ込んでくるんだ。 だから夜間航行のときもヘッドライト付けてチラチラ水面を照らそうもんなら、本能寺さながらダツの弓矢がビュンビュン飛んでくる、、、 トビウオも危ないんだぜ、、あいつら凄いスピードで真っすぐだけじゃなくて、飛んでる最中でも右や左にカーブも切れるもんだから、 少し距離を置いて飛んでたトビウオの群れが急に旋回して、僕の目にバチンって突っ込んできたこともあった、、サングラスしてなかったらヤバかったね、、、 常にいろんなことに気を配って漕いでいるのがカヤッカーだ、、、あんたら潜水艦にも相当な距離を置いて、道を譲ってるのがわからんのかね、、

海をカヤックで漕いでいると僕らカヤッカーってのは本当にマナーのよい、海のリアルな常識ってのが備わった海の精霊のような存在なんだって つくづく感じる。
あいつらが一番なってねえんだよ、あいつらにこそ鍛錬が必要なんだっと嘯く、内田オジイの発言もなんだかリアルなことのように感じてくる。 日本人は軍隊経験することはないが、成人の儀式として横断隊へ参加するような日も近いのではないか。 もちろん一人旅は人格形成や判断力、自身と向き合う場としてもっとも必要なことだし、 カヤック旅も一人旅にこそ醍醐味があるってのは前から思っていることだけど、、一人旅は思い立ったらいつでも出来んだ。
団体ってのは、いつでも開催ってわけにはいかん。
そういう意味では30人の団体のカヤック旅なんてなかなか出来ることじゃないぞ。 ここではあらゆることを学べるぞ。 秩序、統制、規律、自由、今や社会で失われつつある絶対封建的年功序列制発言力も健在だ。 ゴールの達成感は一人のときの30乗くらい、、ちょっと言い過ぎか、、いや増すのは確かだ。
だいたい日本には海に面してない県が片手で数えるほどしかないんだぜ。
今こそ日本人は在りし日の海洋国家日本として全ての国民が海で学び、 海の仕事に携わったことがあるくらいに個人個人が逞しくなっていくべきだ。
、、おっと、、なんかこのフレーズ少し影響されてないか、、やっぱ人のレポートとか読んだらいかんねー、、
、、頭カラッポの分すぐに影響されちまうぜ、、人の読まずに書けってのは、こういうことだな。、、

津和地島から周防大島(屋代島)、特に情島と瀬戸ヶ鼻のあいだは大きく流れることを予想し、広い海域を抜けていったのにけっこう流れた。
、、、個人的、ガイド的にはあそこで沈脱やらレスキューとかやってみたいな、、、
カヤックがどっち向くのか、沈したカヤックと救助者は潮を受ける影響の違いでどう離れるのかとか興味が尽きないね、、この海域は、、、

大島の大鼻から地家室目指す5kmくらいの漕行、、、西日にやられて、おまけに波も風もない単調な漕ぎになって皆がだれていた、、
おしゃべりする人もいなく、、隊がしーんと静まり返ってしまった、、、
地神室まで残り2、3km、30分くらいの地点で完全に意気消沈してしまった瀬戸内カヤック横断隊、、

沈黙を破ったのは、妖怪おじいこと内田隊長だった、、、
「うおおをー」
突然叫びだした、、、それに呼応するかのようにディズニーの海賊たちが叫びだした。
「おらああー」「うおおおー」
今度はみんな歌いだす。
なんだか懐かしい光景だ。高校時代の部活の練習思い出したな。「おおー、声出せー、1年、、、気合いが足らんのやー」って。 声を出すと、力もみなぎる。 落ちていた隊の指揮も俄然上がりだした。

地家室まではテンションあげあげで乗り切ったのだが、雄叫びと咆哮に力を出し切ったのか、おじいたちはがっくり疲れてしまったようだ、、
おまけに15:00を既に過ぎ、またしてもパワーの源、酒が完全に切れてしまった海賊たち。
のこり1時間漕げば温泉のあるビーチに着くという甘い誘惑に乗り気になる新人ミッキー軍団とマドンナたち。
力関係は歴然で、小雨振る中、近くのゴロゴロ岩の転がる海岸へ上陸。
、、、温泉の夢は儚く潰えてしまった。
ただ、そこが非常に貴重な泡サンゴの生息地であって、ガイドとしては非常に勉強になった。
この旅には少しも無駄なことがない、、どんなときでも何かの学びを得る、、
この場にアウェイとして、つまりほとんど知識をもたずに来ているからという理由もあるが、知識以外にも得るところは多々ある。 瀬戸内カヤック横断隊とは本当の意味での”学び”の場だ。

11月30日(金)周防大島地家室〜上関〜田ノ浦〜祝島到着(41km)

地家室の海岸で最終日の夜を明かした、翌30日の朝。
いよいよラストというところで、ようやく出ました、我らが西表島ガイドの赤塚リーダー。
そう、彼が参加した瀬戸内カヤック横断隊は3回中すべて完走している。 押しも押されぬ1番バッター的存在の赤塚君。彼なら必ず天気をも変えれる、、、 そういう皆の期待をよく理解しているのか、本人もやる気満々だ。 ぼくなら、必ず祝島に連れて行きますよ、、くらい言ってのける。

シャーマンはるさんの毎朝のセージの儀式で、隊員全員浄化されていく。 この儀式は極めて重要で、皆の健康とか、天候や海への感謝などあらゆることが含まれている。 土木現場の毎朝のラジオ体操と同じような意味合いを持っているのだ、、、違うか!?、、 この隊には、とくに歴戦のおじいたちには一人一人すごく重要な立ち位置があって おじいたちは皆それを自覚して隊に貢献している。極めて献身的な海賊団だ。 この隊は10年にも渡り、すでに完成されたチームワークを誇っているので、我らミッキー軍団は周りをチョロチョロやってるだけで せめて貢献出来ることといえば、薪拾いと、焚火の片付け、早起き、声出し、カヤックの引き上げ下げ作業くらいだろう。 パドリングの体力と健康管理は言うまでもない、、、最低条件だ。
「未来のミッキーたちよ、心してかかれ」、、、永遠のミッキーまんさくより。

地家室から祝島前までは岬から岬へ、分かりやすい指示と見立てで、スムーズに隊が動いていた。 加えて最終日ということもあってか、前日見られたような疲労感が隊全体になく、漕ぎがしっかりしていた。
最終日の途中、海峡横断の前で数名の参加があった。
少しの時間でも一緒に漕ぎたいという人たちの思いは、隊全体の気持ちを向上させるね! 僕もこの隊に入れてよかった、、幸運にも全行程で参加できるとはね、、、
入る前までは、、、いやー仕事が入ったら仕事を優先しちゃうかもねー、、なんて言ってたことが恥ずかしいぜ、、
これまた、ユウジおじいの金言。
「お前なー、、横断隊だけは何があっても優先させにゃーあかん、、だけどな反原発運動だけは俺は行かなきゃならん、、 1度だけ時期が重なったとき、俺は反原発運動のほうに行った、、けど横断隊自体が反原発抗議運動なんだから心は一緒よ。」

上関原発予定地を通り、田ノ浦海岸へ上陸。
中国電力がこの地を原発予定地としてから、いろんなことがあったのだ。
このことは全て聞いたことなので、詳しくは説明できない。
ただし一つはっきり言えることは、主張、争点の違いだ。
原発反対派の主張は一貫して、自然保護の立場から発言している。
そこに住む、動物、植物、海の生態系、昔から受け継がれてきた自然を埋め立てて、原発の排水を瀬戸内海の入り口に垂れ流してはいけない。 自然を切り売りしてはいけない。瀬戸内海すべてを汚染してしまうことになる。
それに対して、原発推進派の主張は経済の立場から発言している。
過疎が進む集落に産業が生まれるとか、
中国電力から20億円を超える寄付金をもらい、それを地域の活性化、助成金として役立てているとか、 すべて金がからんだ物言いで、曖昧にしか表現できない。

田ノ浦海岸で原発予定地埋め立て工事妨害活動を続けてきた虹のカヤック隊で、瀬戸内カヤック横断隊の次期隊長の原さんが皆に説明してくれた。 この地の重要性、今までの活動、祝島の島民の抵抗活動。
シャーマンはるさんはセージを焚き、皆を浄化した上で最後にネイティヴアメリカンの歌を歌ってくれた。
Walk in beauty、、、美の中を歩こう。
自然を切り売りしてはいけない。元には戻らない。
コレだけは学のない僕でもすぐに理解できることだ。
ではなぜ、これほどまでに争いが続くのか、、、金だ。
金の力で原発賛成派が増えていくのだ。金と原発の因果関係だけは見えた。
原発はなぜ、田舎に置かれようとするのか、、それは危険だからでしょ。
原発はなぜ、過疎地に置かれようとするのか、、人が少ないほど買収しやすいからでしょ。
僕たちカヤッカーは自然と生活が切っても切れない関係にあることは誰でも理解していることなのに、、、 TVやらで学歴やらキャリアやらなんだかきらつかせている偉そうな人間たちは、自然のことを何も知らない馬鹿ばっかりなんだな、、 自然ってのは自然界のことで、その中で人は生きているんだよって簡単なことが分からないのだろうか? 大変な世の中だ、、みんな賢い振りをして生きている、、

中国電力の退去勧告が鳴り響く中、2隻の漁船が祝島からやってきた。
地元の清水丸さん達が船で迎えにきてくれたのだ。
歓呼の雄叫びが響く、、

田ノ浦海岸から祝島へ最後の海峡横断。
北東の風に押される中、2隻の心強い伴走船に見守られながら我ら瀬戸内カヤック横断隊は祝島に吸い寄せられていった。 最初に今日のリーダー赤塚君が上陸し、その地点へ次々に隊員が上陸していく。 隊員が全員上陸するのを見届け、最後に内田隊長が祝島に上陸した。 今回で隊長を引退する内田おじいには、10年間、70日間という責務を無事に果たせた、安堵の表情が浮かんでいた、、 最高のクライマックスを迎えた。

祝島では僕ら30人以上を風呂に入れる準備までしてくれている。 7日間、風雨と焚火にさらされた垢まみれの体を、自宅のお風呂に入れてくれるのだ。
信じられない、、家族でも嫌がりそうなものを、、うちの(元)嫁だったら確実にNoだ、、小銭渡されて銭湯行きやー、って姿が目に浮かぶ。
初参加の僕でも、祝島と瀬戸内カヤック横断隊のつながりの深さが分かる。
6軒の提供先に、隊員5ー6人ずつ分かれて入る。
行った先では、こたつにみかんまで用意してあった。
6人順番では時間がかかりすぎるため、僕らのところは1人が風呂入っている間は、もう1人入って体洗っておくローテーション式になった。 まさに裸の付き合い。7日間の行程で家族になれた横断隊。、、いやむしろ家族以上?だな、、、

公民館のような場所を用意してくれたので、そこに全員が寝泊まりする。
もちろん宴は欠かせない。
地元の方々は酒や肴、お刺身まで用意してくれていた。なんだか今になって涙が出てくる、、、有り難いことだ、、 長年共に活動されてきた祝島の皆さんと瀬戸内カヤック横断隊が共になって、反原発と未来のあるべき姿を語り合う。 そして、、またしても新人挨拶の儀式。
ああいう場所ではなんか照れくさくて、どうしてもふざけてしまうのだが、
本当は涙を流しながら、隊の皆と祝島の方々、瀬戸内海の自然に感謝の気持ちを表したかった、、んだぜぃ〜、、
また来年、共に漕げるのを楽しみにしつつ、自身の活動に精を出していきます。

※日付け(曜日)行程(距離)は、すべてサッちゃんのを無断でメモりました、、サッちゃん、ありがとう。

ただの感想文になってしまったので、一緒に漕いだ瀬戸内のメンバーにとっては、なんじゃこりゃでしょう。 自分の中では瀬戸内のメンバーに対してというよりも、未来のメンバーや全く知らないけど興味があるって人たちに、 瀬戸内カヤック横断隊ってこんなんだったよって紹介する気持ちで思い描きました。 これだけ散々はき散らかしておいて言うのもなんですが、質問、文句、誹謗中傷なしでお願いします。
、、傷つきますんでね、、
また来年ディズニーの海賊たちとミッキーマウス集団にお会いできることを楽しみにしています。

西表島のミッキーまんさくより

(追記)

内田おじいのいうとおり、レポートは心の内にあるものを吐き出す作業だった。
ああー、悪口言ってやって、すっきりしたぜぃ、、
地図を見、詳細を思い出し、距離を測り、土地の名前を調べる。
そんな作業をしていると、瀬戸内をもう一度、旅したような感覚に陥った。
なんだか、実際に漕いでるときよりも、その時のことを、よく思い出していた。 そして、この作業は自分の中では確実に次に繋がるだろう。

そして、もう一度書けときっかけを与えてくれたユウジおじい。
終了後も駅まで送ってくれたり、本当に感謝しています。
これからもユウジおじいを永遠の反面教師として尊敬し続けていきますので安らかにお眠りください。

まったく、おしゃべりすることが出来なかった諸先輩方にも後ろ姿で勉強させていただきました。 瀬戸内カヤック横断隊員と携わった多くの方々へ敬意を払い、感謝の気持ちを述べたいです。 多くのことを学ばせてもらい、みなさん、本当にありがとうございました。 僕は相変わらず、雑誌や本に目を通すことはありませんが、、、みなさまのご活躍とご健康を心から祈ってます。

おわり

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